米づくりをはじめ果樹、野菜、畜産など、県内でも農業が盛んな庄原市。中でも高野町はりんごや大根の産地として知られ、火山灰が堆積した「黒ボク」といわれる土壌と朝晩の寒暖差が育む甘くみずみずしい大根は「高野大根」と呼ばれて地域の特産品として長く親しまれている。
「高野で大根が栽培されるようになってから、もう50年くらいになるかねぇ。黒ボクのこの土地に合っとったんじゃろうね」そう話してくれたのは出口富子さん。高野大根の生産地である和南原地区で、高野大根を活用した加工品を開発する「和南原加工グループ」の代表を務めている。出口さんがこの地区に嫁いで来た当時、辺りは山に囲まれていたそうで、本格的に農業を始めるために山を切り開いて畑をつくったのだそうだ。大根に落ち着くまでに、桑やほうれん草などいくつかの農作物を試した時期もあったとか。
今から約40年前、地域ではすでにたくさんの農家が大根をつくっていたが、その分、形やサイズ、傷など条件を満たさないため出荷できずに廃棄処分となってしまうものも多かった。「もったいない。なんとか活用できないか」という声が上がるようになり、当時地区の担当だった県の農業普及指導員など周りと相談する中で「切り干し大根に加工して販売してみたらどうだろう」とひらめいたのが出口さんだった。
そうと決まれば善は急げ。「切り干し大根をつくろうと思うけぇ、寄りたいものはみな寄りんさいって声をかけたら、若い人もたくさん寄って40〜50人くらいになったんですよ」。当時は勤めに出ている女性は少なく、皆農業と家事や子育てをしながら暇を見つけては集まっていた。しかしカットなど手作業が多く冬場は寒い中冷たい水を扱わないといけないし、大変だということで多くの人がやめてしまった。
最近は若い女性も勤めに出ている人が多くなかなか集まらないが、七人のメンバーが中心となって活動を続けている。「もうみんな後期高齢者になるけぇ、くたびれとるんよ」と元気のいい笑い声とともに自己紹介してくれた皆さんは73歳から83歳。出口さんを含む四人はグループ結成当初からのメンバーで、あとの三人も長いお付き合いだという。
集まった時は全員が大根農家で自ら大根をつくっており、自分たちの大根を使ったり、近隣の畑に残っている大根をもらったりしていたが、切り干し大根の人気が出てきたこともあり、畑を借りて自分たちでつくることに。自分たちで売り先を探して「いろいろなところに持っていったよね」との思い出も。しばらくは皆で作業していたが、年々体力的にも無理が出てきたこともあり、大根づくりは町内で農家を営む天根さんにお任せすることとなった。昭和から平成に変わる年に出口さんが開いた食堂「夢ハウス」が、現在の主な作業場となっている。
出口さんのお店の名前「夢ハウス」をはじめ、大根を詰める段ボールに書かれている「夢産地」、庄原育ちの農作物や特産品などが集まる産直市の名称「ゆめさくら」など、一帯には「夢」が広がっている。
「最近は資材が値上がりして大変。商品も値上げしようかと思うけど、長いこと同じ値段で買っていただいているから悩ましいよね。思えば、子育てしながら、姑さんや舅さんや旦那さんのことも見ながら、みんなでよくここまでやってきたなと思います。年を取ればいろいろなことがしんどくなるから、もう無理はできんけど」と出口さんが言えば「みんなで集まっておしゃべりして、ボケ防止しよるんよね」とメンバーの皆さんがキャハハハと笑う。作業中はせっせと手を動かし、ひと息入れると和気あいあい、笑い声が絶えない作業場。そんな光景を目の当たりにすると、高野の切り干し大根にもそんな皆さんのパワーが宿っているような気がして、高野大根の楽しみ方をまだまだいろいろ教えてもらえそうだなと楽しみな気持ちになった。
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