「まだもがんといて。この景色がきれいだから、見ていたい」。畑に果実が実った時、収穫したくないという農家さんがいるのだろうか…。
…いるんです。竹原からフェリーで約30分の離島、広島県豊田郡大崎上島町でレモン、ブルーベリー、その他の柑橘をつくる岩﨑太郎さん。妻の亜紀さんと二人三脚で岩﨑農園を営んでいる。農作物の中でも「特にレモンの栽培が楽しくて、難しいけれどその分ワクワクする」という太郎さんのレモンへの愛は深く、それゆえの「親バカ」ぶりに「私はどんどん売りたいのに。(太郎さんは)レモン命なので、かわいくてかわいくて仕方がないみたいですよ」と亜紀さんも笑うしかない。
二人は京都出身で、大崎上島にIターン就農して今年で11年目。『ひろしま食べる通信』にもこれまで何度か登場しているので、二人のことが記憶にあるという購読者の方もいるかもしれない。
京都では、太郎さんは不動産の営業職、亜紀さんは介護職に就いていた。太郎さんの祖父母は大崎上島のお隣に浮かぶ大崎下島の柑橘農家だったため、子どもの頃から年に数回遊びに行くことがあり、いつかこんなところで暮らしてみたいなという思いも漠然と抱いていたという。
不動産の仕事は激務で、24時間365日携帯電話は必携、職に就いてから10年間盆も正月もなく働きづめ。精神的にも肉体的にも疲労が募っていたある時、太郎さんの両親が大崎上島に引っ越すこととなった。それを機に両親から、畑があるから農業をやってみないかと誘われ、脱サラを決意し、家族で島に移住した。
教えてくれる人がいたことから、最初はブルーベリーからスタートし、その後、柑橘の畑も貸してもらえるということで、柑橘栽培も始めた。今でこそ、広島県はレモンの産地として知られ積極的にPRされているが、当時はまだ知名度が低く、太郎さんは広島県が国産レモンの生産量全国一位だと、島に来て初めて知ったそうだ。
ブルーベリーは教わりながら比較的順調に育てられたが、柑橘については2年くらいは試行錯誤の日々だった。そのころは移住して就農する人も少なく、町や農協のサポート体制も整っていなかったため、誰に教わったら良いのかも分からず手探り状態。徐々にIターン就農者が増え、町や農協も本格的に動き出したことから、農業者同士の縦や横のつながりができ、きちんと教わることができる環境が整ってきた。
初めての島、初めての農業、先が見えない中で不安はなかったのだろうか。「なんとかなるだろうと思ってやっていましたね。深く考える余裕もなかったし、目の前のことを一つ一つ片付けていくしかなかった」と太郎さん。それでも京都に帰ろうと思ったことは一度もなかったそうだ。
そうはいかなかったのが、亜紀さん。「最初の2〜3年は京都に帰りたくて帰りたくて、毎日寝る前に号泣していました。子どもたちは転校初日から友達を連れてくるくらいすんなりなじんで、ホッとする反面、自分だけが置き去りにされているようなさみしさもあって」。そんな亜紀さんも今となっては「この島に骨を埋めるんだと思えるようになりました」。
そんなつらい思いを抱えながらも、早い時期から亜紀さんは大活躍だった。まだ栽培が安定しなかった初期には農協などに売りに出せない規格外品が多く、ロスの山を抱えて途方に暮れていた。販路も確立されておらず、農協に出せなかったものは京都の知人を頼って買ってもらうなど地道に売り続けていたが、それでもらちがあかない。
「味はともかく見た目が悪くて。それでも買い続けてくれる人たちのために何かできないかなって」そこで亜紀さんがひらめいたのがジャムだった。「いつも支えてくれてありがとう。よかったら食べて」と感謝の気持ちを込めて作ったジャムを添えて届けた。これが、今ではファンの多い岩﨑農園のジャムのスタートだった。そのお客さんから、あるお店の人にプレゼントとしてジャムが渡ったことから、その店に置いてもらえることとなったのだ。
出張販売やマルシェ、商談会などにも積極的に参加した。故郷の京都まで足を伸ばすこともあり、なつかしい面々に会えることは家族みんなにとってうれしいひとときでもあった。こうしてコツコツと営業活動を続けながら、徐々に販路を見出していった。
その間も太郎さんは、効率や利便性、品質などを見ながら圃場を手放したり確保したりしながら栽培面積を広げ、栽培方法を研究しながら改良を重ねていった。5年目にはグリーンレモンのビニールハウスを借りられる話があり、その頃から生産量や品質が安定してきたという。
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