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ひろしま食物語 ひろしま食物語

ロボットから農業へ

2021年1月執筆記事

東広島市安芸津町
甲斐農園

甲斐 直樹

 実は甲斐さんは以前にも一度この『ひろしま食べる通信』に登場している。3年前の2018(平成30)年3月号で尾道市瀬戸田町の能勢さん(セーフティフルーツ)がつくる瀬戸田柑橘を特集した際に、瀬戸内エリアの柑橘農家さんを何軒が紹介したのだが、そのうちの一軒が新規就農して5年目、当時32歳の甲斐さんだった。バックナンバーをとってあるよという方(ありがとうございます!)はぜひ見てみてほしい。今回もその頃と変わらない温かな笑顔で迎えてくれた。
 甲斐さんは千葉県生まれ千葉県育ち。ロボットの設計などに興味を持ち、大学は機械工学系の学部に進学したが、学ぶ中で、本当にやりたいことではないかもしれない…と疑問を抱くようになり、休学した。
 そんな時、千葉の野菜農場で栽培管理スタッフを募集していると友人から聞いて、面白そうだと応募。種をまいて、芽が出て…野菜の生育過程や、手を掛けたら応えてくれるその姿に心を打たれ、農業の世界にひかれるようになった。
 雑誌やインターネットで農業について調べるうちに、日本各地にさまざまな土地柄や農法があってたくさんのつくり手がいることを知り、農業という世界の広さを感じるにつれ「自分の目で見て体験して肌で感じたい」と農業への思いが募った。働ける農場を探していたところ、沖縄のサトウキビ農家が住み込みで収穫期のアルバイトを募集しているのを見つけて、さっそく飛んだ。その後も茨城の有機野菜・養鶏農家や新潟のお米農家など、2013(平成25)年にここ安芸津に根を下ろすまで日本全国の農家を渡り歩いた。休学していた大学に戻ることはなく退学したが、一切未練はなく、心は農業一色に染まっていた。

 全国を転々とした後にたどり着いたのは広島県東広島市安芸津町。じゃがいもをつくる有田園芸農場で住み込みのボラバイト(ボランティアとアルバイトを組み合わせた造語)として働くことに。農作業はとても楽しく、何より瀬戸内の温暖で穏やかな気候風土が甲斐さんの肌にピッタリ合った。さらに、温かく迎え入れ励ましてくれる地域の人たちの存在も大きかった。ここで旗揚げしたら応援してもらえるんじゃないか、その支えがあればできるかもしれないという心強さがあった。「この地で作物と共に根を張って、農業で頑張って生きていこう」これまでにない強い思いが芽生え、気持ちが固まった。

 そうと決めたら即行動。職場の人、地元の人、農協や役場に、農業で生活していくにはどうすればいいかと相談した。全国の農場を回ってきたとはいえ、まだ素人同然。いきなり新規就農するのはハードルが高いから研修を受けてみてはどうかとアドバイスをもらい、JA広島果実連が新年度から蒲刈町でスタートする柑橘栽培の研修所に入ることにした。
 研修を受けている間に、地元の人やJAの協力を得て、研修修了後に農業を始められるよう農地を探してもらった。70代後半でそろそろ引退しようかという地主さんがいるという話があり、その柑橘畑とじゃがいも畑を引き継ぐ形で借りられることに。それが現在甲斐農園のメインとなっている圃場である。
 圃場を確保し、研修も無事修了。住み家も地元の人が世話してくれて見つかった。ただ「一人」だった。柑橘やじゃがいもをつくり農地を守っていくには手が足りないと気づいた甲斐さんは、市役所の農業ボランティア制度を利用して、土日などの休日を利用して一緒に働いてくれる大学生や社会人のボランティアを募った。そこに参加してくれた一人が、出会って半年後に妻となる舞さんだった。

 就農したいという思いはあっても農作物にこだわりはなかったという甲斐さん。縁あって受け継いだ柑橘畑とじゃがいも畑で農業人生の幕を開けることとなった。果樹農業で農業経営として勝負するには苗木を植えてから5年以上は計算しておかねばならないといわれるが「技術のない自分が、すでに木が生育して基盤ができている状態からスタートさせてもらえたのは本当に助かりました」。
 そうはいっても経験が少ない最初のうちは仕事の段取りが上手くできずバタバタと駆け回って一日が終わるような毎日だった。師匠である地主さんや先輩農家さんに教えを請うたりJAの講習会に参加したり、自分に足りない知識と技術と経験を埋めていった。
 「もちろん楽な仕事ではないので心折れそうな時もありますが、ここで辞めてしまって別の道を選んだら…やっぱり農業が良かったと後悔するだろうなと想像して、結局ここしかないなと戻って来るんです」。
 ほれ込んだ安芸津で初めて「自分の畑」に立ち、恋い焦がれていた農業を「やっと始められた!」とこみ上げてきた喜び。あの時の気持ちは今もずっと甲斐さんの心に生きていて、その目は10年後、20年後を見つめている。そして今は一緒にその未来を見てくれる妻の舞さんと従業員の丸山さんがいることが、甲斐さんを勇気づけてくれる。

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。