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ひろしま食物語 ひろしま食物語

草を食べ、ミルクを出し、循環する酪農

2020年9月執筆記事

三次市三良坂町
チーズ工房 三良坂フロマージュ

松原 正典

 牧場の一角に立つ小屋をのぞくと、山羊がずらり11頭、かわいいお尻を並べてじっと良い子に搾乳中。奥に入って顔をのぞき込むと、みんな一斉にこちらを振り向く姿がまた愛らしい。
 小屋にはほかにも搾乳のために山羊が集められている。隣の山羊にちょっかいを出して反撃を受けるやんちゃヤギ、カメラを向けると寄ってきてレンズに熱い視線を送るモデル志望ヤギ…好奇心旺盛な彼らの行動は見ていて飽きない。
 壁を隔てて隣では牛が2頭、こちらも搾乳中。山羊の何倍もある巨体にゆっさゆっさとぶら下がっている大きなお乳は、まるでパンパンにふくらんだ風船のよう。一度に10リットルほどはとれるという。搾乳後は一変して空っぽの巾着のようにしぼみ、ビフォーアフターのギャップに驚く。
 小屋の外には搾乳待ちの牛たちが待機していて、餌箱の草をむしゃむしゃ食べ続けている。時には餌箱をひっくり返しながら豪快に、延々と食べている。毛色はさまざまだが、どの子も毛艶がよくパンパンと張りのある立派な体つき。その体をなで回す勇気はなかったが、穏やかで優しい目に癒やされる。
 搾乳が終わると、山羊も牛も山の奥に戻ってフリータイム。草を食べ、ひなたぼっこし、木陰で腰を下ろし、思い思いに過ごす。編集部が通り道に立っていると、少し先で様子を見るかのように立ち止まってしまう山羊と牛たち。ごめんごめん、じゃましたねと道を空けると、またゆっくりと進み始める。
 山の中で牛たちは点々と散らばり、山羊たちは家族のように肩を寄せ合ってくつろいでいる。珍しい物好きなのか人なつっこいのか、編集部に果敢にアプローチしてくる山羊が1頭。Tシャツやバッグをくわえて引っ張るので困るのだが、普段は山羊とこんなに戯れることもないし、これはこれで楽しい。山の中には1頭、濃い毛色の雄も。三良坂フロマージュでは自然交配による繁殖を基本としているのだ。

 ところどころに木々が立ち、その土地に合った草に覆われた山に広がる放牧地。草や木の葉、木の実を食べ、木陰で休んだり雨風をしのいだりしながらのびのびと過ごす。人が草刈りなどの手を加えなくても牛が食べてくれるし、牛は身の回りにあるものを食べて成長するから、必要以上に輸入の飼料に頼る必要もない。その土地の恵みをいただいた牛がミルクを出し、糞をして、それが大地の栄養となり、再びおいしい草が生える。そんな循環型の酪農が「山地酪農」だ。
 三良坂フロマージュの店舗兼チーズ工房のそばでは山で放牧される前の幼い山羊や牛たちが暮らしている。こうして子どもの頃から人と接しながら育つので、三良坂フロマージュの動物たちは人に慣れており、すぐそばに人がいても特に気にするでもなく、道端の草をムシャムシャ食べながらのんびり歩いている。そんなのどかな光景を眺めていると、心がほのぼのとしてくる。

 松原さんは母親の故郷である三次市三良坂町で生まれ、大阪で育った。夏休みなどに里帰りするたび、普段生活している大阪の街とは違う大自然を謳歌した。
 高校を卒業すると、母の勧めもあって広島の農業短期大学へ進学。当時、農業を志す若者は珍しかったが、なぜか松原さんは「これから農業の時代が来る」という予感がしたという。
 とはいえ、確信や明確な志があったわけでもなく、当初はアルプスの少女ハイジのような生活や大型動物と接するという非日常的体験にひかれ、軽い気持ちで酪農を選択したのだが、短大での生活は全てが新鮮。都会では絶対に教えてもらえないようなことばかりで、今までの知識や経験は全く通用しない世界だった。

 2年間の短大生活が終わる頃、海外の農業研修プログラムを知った松原さんはアメリカ行きを決意。資金を貯めるために酪農ヘルパーとして一年間働きながら準備を進めた。アメリカに渡ると、ワシントン州、カリフォルニア州を経てネブラスカ州の酪農家のもとで学んだ。
 「研修は厳しかったですね。24時間働いた日もあります。アメリカ人はタフで、ホリデーも取らずものすごく働きます。酪農は重労働。仕事の日は起きたら乳搾りと農作業に追われ夜中に帰宅。休日は1時間くらいかけて街に出て買い物をして帰る。田舎だったので遊ぶところも近くにはありませんでした。渡米前は、アメリカの音楽が好きだから本場の音楽でも聴いてみよう、海外で働きながら暮らせるなんて夢みたいなプログラムだと思っていましたが、音楽を聴く暇なんてありませんでした(苦笑)」。
 前述の通り「雄大な自然の中で動物たちに囲まれて悠悠と暮らす」そんなダイナミックな酪農ライフを思い描いていた松原さんだったが、実際はほど遠い現実だった。畜舎にチェーンでつながれた牛たちは畳一畳程度のスペースで立ったり座ったりするだけで生涯を終え、高カロリーの穀物を与えられてぶくぶく太ってミルクを出す。そもそも酪農を始めるには莫大な資金が必要だから自分には無理。もともと軽い気持ちで選んだ酪農の道、これまでの日々は人生経験として収め、日本に帰国したら別の仕事に就こうと考えていた。
 ネブラスカ州でお世話になっていた農場主はたびたび口にしていた。「俺はここで生きて、ここで牛を飼い続けて人生を終えるんだ」。松原さんはそれを聞いて「こんな狭い世界だけを見て人生を終えてもいいのかな」と最初は疑問だったという。しかし彼が一生懸命に働く姿を見るうちに「こんな生き方もカッコいいな」とふと共感した瞬間があった。その時から、松原さんの気持ちは、それまでの軽い気持ちから少しずつ酪農と向き合う方向へと動き始めた。

 しかし、酪農への思いはあるものの、実現するためにどの扉を開ければいいのか分からない。アメリカから帰国した後は親戚の会社で水道工事などに携わりながら、煮え切らないまま時が過ぎた。そのうち「とにかく進まないと、このままでは腐ってしまう」と危機感を覚え「自分の人生、もっと冒険したい」と思い立った。
 新たな冒険の地に選んだのはオーストラリア。南半球一の大規模農場だ。飼育数はなんと千頭! それを松原さん含め3人で午前2時から昼までの間に搾乳していたというから想像しただけで気が遠くなる。さらに午後からも、ひたすら搾乳に明け暮れる日々。それだけミルクを供給しても十分な需要が現地にはあった。
 身を削って大量にミルクを提供してくれる牛たちはそれだけ短命になる。生後12カ月で身ごもり、24カ月で産んで、3回出産を終えた頃には体が限界を迎え、寿命は4年ほどといわれる。松原さんは徐々にそんな現状に疑問を感じるようになっていった。

 毎日仔牛が誕生するが、生涯を閉じる牛もいる。そんな牛を裏山に運ぶのだが、ある日、いつも通り牛が放たれている広場を横切って裏山に向かっている時、千頭の牛たちが松原さんを囲んでボーボーボーボーと、何かを訴えてきた。「牛が感情的に怒ることはめったにありません。でもその時は怒っていたんです。『あなたたち人間は私たちを全然大切にしない。私たちはあなたたち人間のために一生懸命、命をすり減らしてミルクを出して献身しているのに』と。そう責められている気がしました。それを聞いて涙が出てきて、情けないというか。なぜ研修生の僕に言うのか、僕ではなくボスに言ったらいいのにと、もうこの職業から足を洗おうと思いました」。
 辞めようと思いながら帰国までの時間を過ごしていたが、ある時「牛たちがわざわざ僕に訴えかけてきたのは、僕にどうにかしてほしいというメッセージなのではないか、僕だから何かを伝えようとしたのではないか、ふとそう思ったんです。その時に自分の中でスイッチが入って、よし、僕は牛を飼って、幸せに育て、そのミルクで乳製品などを作って生活するぞ。そして自分のことをみんなが真似したくなるような影響力のある人間になろう。そう決めました」。

三良坂フロマージュ公式サイト
https://m-fromage.com/

三良坂フロマージュ

三次市三良坂町仁賀1617-1
定休日/日曜日
営業時間/10:00~16:00

※商品が品切れになった場合は早めに閉店することがあります。
またチーズ製造や配達のため、数十分間、お店を閉める場合があります。

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。