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ひろしま食物語 ひろしま食物語

若きホープの誕生

2019年7月執筆記事

呉市吉浦中町
もみじ水産

三宅敏郎

 実際、若いスタッフが成長を見せている。順さんいわく「ちりめん漁で一番大事なのは、魚を見つけて網を誘導する指揮官。魚を見つけ、潮の流れなどいろいろな状況を計算しながら、どうやって海にいる魚の群れを網で包むかは、経験よりも持ち前のセンスが大きくものをいう」。その責任重大な指揮官に昨シーズン抜擢されたのが久保田翔也さんだ。
 ちりめん漁は基本的に1カ統につき1つの船団で動く。通常3隻で構成され、1隻が魚を見つけて指揮し、捕獲した網を曳き揚げ、2隻が指揮官の指示に従って網を曳っ張るというように役割分担されている。「網を指示通りに曳っ張り破損しないよう適切に扱うには、センスより経験に基づく技術が必要」とのことで、久保田さん率いる船団で網を操るのがベテランの順さんだ。
 久保田さんは一昨年のシーズンが終わって間もなく、順さんと共に敏郎さんに呼び出された。それまで指揮官を務めていた敏郎さんが「僕は陸(おか)へ上がろうと思う(漁ではなくそれ以外の事業に専念しようと思う)。来季からは久保田に指揮官を任せようと思うが、どう思う?」と順さんに意見を求めた。すると順さんも「やらせてみたらいいんじゃないか」と同意。久保田さんは正直「なぜ僕が…」と腑に落ちなかったそうだが、断る理由もなく引き受けたという。
 久保田さんは現在29歳。前職を退職して1年半が過ぎた頃、地元のパチンコ店で偶然知り合い親しくなった順さんに誘われて、20歳でもみじ水産に入社した。それまで漁師とは縁がないと思っていたが、一緒に漁に出ていた人が母親と知り合いで、子どもの頃によく魚を譲ってくれていた人だったことが判明。なんとその二人もパチンコ店で知り合ったとか。久保田さんいわく「パチンコ店での出会いはバカにできませんよ(笑)」。
 知識も経験もなく何も分からないままスタートした漁師生活だったが、最初は言われるがままにこなすだけだった仕事も、徐々に教わったことができるようになってくると面白みを感じられるようになった。
 とはいえ初めての指揮官の任務は「1年通して結構きつかったですね。でも1回だけ、ほかの船で魚が獲れていなかった時に、僕がたまたま魚群を見つけてそれが当たったんです。その時はものすごくうれしかった。それがあったから、どうにかこの1年の苦しみが報われた気がします。もうじき2年目のシーズンが始まるので、本来なら気持ちが高まるべきですが、まだ不安の方が大きいですね」。そのくらい指揮官という役割は重責なのだ。
 「どうせやるなら頑張らないと。ほかの船に負けないように。僕はセンスがある方ではないので、先輩に習えるうちに習って、いろんな知恵を入れて努力していきたい」と気合いは十分。そんな久保田さんの「師匠」はもう1カ統の船団の指揮官を担う山本秀明さん。沖でも陸(おか)でも常に的確なアドバイスをくれる頼れる存在だ。漁期だけ手伝いに来るのだが、順さんも「山本さんは凄腕」だと全幅の信頼を置く。
 久保田さんは「この会社に入って一番良かったと思うのが、人とのつながりができたこと。社長(敏郎さん)が漁師をはじめいろいろな場に連れて行ってくれたおかげで、人間関係を築く楽しさを学ぶことができました。社長は困っている人がいたらなんとかしようと人のために動く男気のある人。それがカッコいいなと思って、見習いたいって思っています」。目標となる先輩たちに囲まれ、多くを学び吸収しながら、これからどんな指揮官としてクルーを率いていくのだろうか。
 久保田さんはソフトボールをこよなく愛し、地元の社会人チームで監督としてタクトを振っている。敏郎さんが「そっちが本業では(笑)」と思わず口にしてしまうほど、本気で打ち込んでいる。ソフトボールでは監督、漁では指揮官、どちらの場面でも持ち前のリーダーシップを発揮してくれそうだ。

 そんな久保田さんがきっかけとなって入社したのが、もう一人の若手ホープ、髙原遼介さん。久保田さんとは小学校時代からの幼なじみだ。県外の大学に通っていたが1年で中退して呉に戻り、造船関係の仕事に従事。仕事内容や環境にあまり満足できなかったため転職を考えていた6年程前、漁師である久保田さんに影響されて、自分も働いてみたいと手を上げ、久保田さんが敏郎さんに話をつなぎ、入社に至った。
 入社当時の仕事の印象を「無知なのがかえって良かったのかもしれません。シーズン中は朝も早いし厳しいこともあるけど、その分達成感は大きいし、頑張った分だけ認めてもらえるから、また頑張れます」。
 髙原さんは現在、山本さんが指揮する船団で、獲った魚を運搬したり鮮度を保つために処理したりする船の責任者を務めている。未知の世界で、毎日新鮮な経験を積めることに面白みを感じるようになり、4年目には水揚げしたしらすを運搬する船の責任者に任命、今年で6年目のシーズンを迎えることとなった。髙原さんを見て来た敏郎さんも「1、2、3年目と経験を重ねるごとに仕事内容を理解できるようになったし、考え方がしっかりしてきましたね。先を考えながら仕事をしてくれるから、髙原なら安心して任せられると思いました」と認める、成長が楽しみなホープだ。
 先ほど「ちりめん漁は基本的に1カ統につき1つの船団で動く。通常3隻で構成される」と説明したが、髙原さんが属する船団は4隻構成。4隻の場合、2隻が網を曳っ張るのは前述と同じだが、1隻は魚を見つけて指揮することに専念し、もう1隻が運搬を担うという分担になる。広島のちりめん漁は4隻体制が一般的だそうだ。
 「最初は怖かった。真っ暗な海でレーダーを頼りに船を操らなければならないし、何より、1隻を任されるということは、同じ船に乗るもう一人の命にも責任があります。だからしっかりしなければという気持ちが強くなりましたね」。自分を含め仲間が懸命に獲ったしらすをいかに良い状態で陸(おか)に運ぶかも髙原さんの働きによるところが大きい。
 髙原さんは今後について「沖の仕事をしっかり任されるだけの信頼を勝ち取るのが目標。まだ分からないことも多いのですが、社長や先輩たちは僕の何年も多く積み重ねているわけですから、自分はまだこれから。魚を見つける、網を曳く、鮮度を落とさず運ぶ、どの役割も責任重大で、全員が責任を持たなければいけない仕事だと思います。しらすはとても弱いですから」。

 順さんが「うちの技術は広島では頂点ですね(笑)」と冗談ぽく笑いながらも自信を見せるのは、若者たちの頼もしい成長を日々肌で実感できているからだろう。
 敏郎さんは遠い将来のもみじ水産について「一番この会社を大切に思っている人間に継いでもらいたい」と願っている。会社が、先輩たちが若者を思い、若者たちが先輩たちに敬意を払って努力を重ねる。社員同士の心と心が噛み合って、敏郎さんの望む未来が夢から現実に変わる日が訪れる予感。

もみじ水産公式サイト
https://momijisuisan.jp/

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。