10月5日、いよいよ本格的に海苔のシーズンが始まるとの知らせを受けて車を走らせた。向かったのは広島県福山市内海町。内海町は広島県東南部の沼隈半島沖500メートルに浮かぶ島。瀬戸内海のほぼ真ん中に位置し、田島と横島の二つの島から成る小さな町だ。紀伊水道と豊後水道が交わるこの場所は昔から水産業が盛んで、海苔の養殖もその一つだった。かつて本州からのアクセスはフェリーのみだったが、1989(平成元)年に内海大橋が開通して陸続きとなってからは、格段に行き来しやすくなった。
そんな内海町の田島で1968(昭和43)年に創業し、今日まで田島産の海苔を守り続けているのがマルコ水産だ。胞子(種)の状態から育て加工して商品になるまでの全工程を、自社で一貫して手掛けている。
内海大橋を渡ってしばらく走ると、海沿いに立ち並ぶ大きな水車が見えてきた。近づいてみるとどれも青、紫、赤とカラフルな網が巻き付けられてぐるぐる回っている。どうやらこれが海苔の「種付け」作業らしい。
糸状体が付着した牡蠣殻を水槽に入れ、網を張った水車を回しながら水流を発生させ、光の多い午前中に実施することで、種を活発に放出させる。種をちょうどよい密度で網に付着させるのが海苔づくりの重要な過程の一つで、薄過ぎず、濃過ぎず、マルコ水産では少し濃いめの密度を目安にしているという。
しかしこの種、肉眼では全く見えない。マルコ水産の網は白色だが、肉眼で見る分にはただただ白い網がぐるぐる回っているだけで、海苔の種がぺったり黒々とくっついてる様子など確認できない。
というわけで、付着の具合は顕微鏡で確認する。担当するのはマルコ水産代表の兼田敏信さん。判断にばらつきが出ると品質が一定に保てなくなる可能性があるため、確認は基本的に敏信さん一人の目にゆだねられる。
水車に張っている網を数センチほど切り取り、顕微鏡で種の付き方をチェック。細い網でも裏と表で付き具合が違っている場合もある。何台かある水車を番号で管理し、種が基準通りに付いたことが確認できて敏信さんのOKが出れば、その網は外し、しばらくの間冷凍庫で保存される。水温が生長に適した23℃に下がるのを待つのだ。
「見てみる?」と敏信さんに勧められ、編集部も顕微鏡をのぞかせてもらった。レンズの下に置いてあるのは白い網の一部。しかしレンズをのぞいてみると、そこにはミクロの世界が広がっていた。見やすいように蛍光で映し出された海苔の種が点々と光っているのがなんとも神秘的。
大雑把におにぎりや手巻き寿司に巻いたり、ざっくりつかんでパラパラとお茶漬けやお味噌汁に入れたり、気軽に、手軽に、普段の食卓をおいしく彩ってくれている海苔が、こんなにも小さな小さな姿からスタートし、繊細な管理によって守られているなんて。種から育って大きくなる。考えてみれば当然のことなのだが、あまりに身近な存在だった海苔ができるまでの工程を深く振り返る機会はこれまでなかった。海苔を食べるときの気持ちが大きく変わった瞬間だった。
11月2日、広島市内を出発したのは午前4時。外は真っ暗である。1カ月前に種を付けた種網を海上の養殖域に配置し、育苗の段階に入ったということで、今日はその様子を見せてもらいに。午前6時に船が出るため、編集部は眠い目をこすりながら内海町に向かった。
内海町に到着したのは午前5時半過ぎ。辺りはまだ暗闇だったが、6時の船出を待っている間に東の空がオレンジ色に輝き始めた。きれいだな~…出発時はあんなに眠くて思考停止していたのに…日の出というのはなぜかパワーをくれる。うれしくなって朝日に染まる海を撮影していると、ポンポコリンポンポコリンと可愛い気配が。見るとタヌキさんのお出まし。編集長が近づくと、若干警戒している様子ではあったが、基本的には人に慣れているようだ。この辺りではおなじみのお客さんらしい。
この日に見せてもらったのは「育苗」の作業で、網に付着した不要な海藻類や浮遊物などをポンプで洗浄し、海に浸かっている網を空気中に揚げて適度に乾かし(数時間)再び海中に戻すという作業を毎日繰り返す。天然の海苔は本来、干潟で海水に浸かったり干上がったりを繰り返しながら育つのだが、養殖でも人工的に同じ環境を再現して海苔を育てていくのである(人工干出)。この作業は約3週間ほど毎日続き、その間に海苔は5~10ミリの海苔芽に生長する。
6時過ぎに船に乗り込み、マルコ水産の養殖域へ。出港して10分ほど走ると、海面に何本もの支柱が立ち、網が張り巡らされているのが見えてきた。支柱と支柱の間に開かれた船一艘分の海路に侵入して作業開始。
編集部が乗せてもらったのは敏信さんと、敏信さんの長男寿敏さんの船。二人は揺れる船上にバランスよく立ち上がり、網とつながっているロープをグイグイと力強く手繰り寄せ、網を海上に引き揚げていく。マルコ水産の網は全養殖域合わせて2,200枚。網は20枚ずつ重ねて張られているというからその重量はなかなかのもの。試しに編集長も引っ張ってみたが、とても戦力になりそうにない。
引き上げた網は一見白かったが、よく見ると網目のつなぎ目辺りが黒ずんで見える。この黒ずみこそが海苔の正体。1カ月前の種付け時は肉眼で全く判別できなかったのが、ぼんやりとでも姿を現したことに感動した。それでもまだまだ小さい。さらに数日早く張った網と見比べると、全体的に、微妙に黒ずみが濃いのが分かる。数日の間にも着々と生長しているのだと思うとなんとも感慨深い。切り取った網にルーペをあててのぞいてみると、黒々とした海苔がしっかりしがみついていた。
敏信さんは毎日海苔の生長具合と状態を観察している。状態が芳しくない日があれば、天候や気温や乾燥時間などを振り返って原因を探り、翌日に微調整して海苔のコンディションを良好に保つように細心の注意を払っている。なぜうまくいっているのか、なぜうまくいっていないのか、答えが明確に出る問題ばかりではないが、それでも仮説を立てて検証を怠らない。この積み重ねがマルコ水産ならではの貴重なノウハウとなっている。実際、同じ加工をしてもなぜかマルコ水産の海苔を使うとおいしくできると評価を受けていることが、その成果を物語っているといえる。
この日はまだ網の引き揚げまではいかなかったが、海苔芽が育ったら再び網を回収して冷凍保存し、水温が18℃に下がるのを待つ。水温が下がる11月下旬~12月上旬に再び養殖域へ網を張る「本張り」は、米でいうと「田植え」の段階で、いよいよ総仕上げ。だんだんと冷えていく瀬戸内海とともにすくすくと育った海苔は、12月下旬から刈り取りが始まり、加工段階へと入るのである。
育苗を見せてもらった後、本張りをするための養殖場の準備をしているからと、船で30分ほどの海域に案内してもらった。まだ網も何もないこの場所で、立派に育った海苔に出会えるのは12月の下旬。種付けの段階から知らないことだらけで新鮮な光景をたくさん見せてもらった今回の海苔養殖の取材。年末のクライマックスを楽しみに、すっかり高く上がった太陽に照らされキラキラと輝く海を後にした。
12月26日、今日はいよいよ刈り取りの日。「海苔を刈り取る」というイメージがあまり湧かなかったが、目に見えなかった芽がどれほど成長しているのかが、とにかく楽しみだった。
広島市内を出発したのは午前5時。前回、11月初めの育苗取材より1時間遅いスタートだったが、外はやはり真っ暗。そして先月より一段と寒い。海の上はさぞ冷えることだろうと覚悟を決め、少しばかり大げさな重ね着で身を包み、カイロを握りしめて臨んだ。
内海町に到着したのは午前6時半過ぎ。まだ真っ暗だったが7時ごろには辺りはすっかり明るくなった。しかしこの日の天気予報は午前中雨マーク。前回は鮮やかな朝焼けを拝むことができたが、空はどんより灰色のまま。そのうち降り出しそうな空模様だ。
そんな中、敏信さんから「少し早いけど出てみようか」と声をかけてもらい、7時半過ぎに、いざ出港。一足早く6時半ごろに出た船が、すでに刈り取り作業を始めているとのことで、合流することに。
出港して約20分、刈り取り中のもぐり船が見えてきた。ここからは初めての光景で、なんとも衝撃的な刈り取り作業風景に、編集部一同大興奮。船首から、海面に沈んでいる網を引き揚げて網の下に潜り込み、そのまま網を潜り抜けるように進みながら、船の上部に設置してある刃で海苔を刈り取る。刈り取った海苔は船上に設けてある水槽に落ちてどんどんたまっていく。水槽はまるで真っ黒な海苔のプールかお風呂といったところか。もしもここにドボンと飛び込んだら、ミネラルたっぷりでお肌がすべすべになりそう! などとくだらない想像もしつつ、興味津々で眺めていた。網に覆われた船の姿は、まるで海から現れた恐竜のような、黒いもじゃもじゃした何かをまとった未確認生物のような、網でとらえられた宇宙船のような…。
今度はもぐり船に乗り移り、実際に網の下をくぐる体験をさせてもらえることに。操舵室に入れてもらい、刈り取りスタート。真正面の船首から、黒々と海苔がたっぷり絡まった網が徐々に上がってくる。そのまま網がずいずいっとこちらに迫ってくるかと思えば、目の前の刃で刈り取られ、ボトボトボトボトッとシャワーのように勢いよく水槽へ落ちていく。操舵席の天井を見上げると、頭上を通り過ぎていく網の影が映し出され、まるで天井に格子模様を描いているよう。横の窓に目をやると船の脇にも海苔のカーテンがずんずん後ろに向かって進んでいる。網の端っこをくぐり終えたら視界が開け、目の前には瀬戸内の穏やかな海、デッキは一面海苔の海になっていた。
すると別の船がもぐり船にぴったりと横づけ。刈り取った海苔が水槽いっぱいにたまったので、別の船に移し替え、もぐり船は引き続き、次の養殖域で刈り取りを進めるのだ。もぐり船の水槽からもう一艘の水槽へ、大量の海苔が太いホースで吸い取られ、大きくて真っ黒な流しそうめんのように、ぬるぬると水槽へ流れ落ちていく。
この日刈り取ったのは一番海苔。一番海苔は水分を多く含んでいるので水の割合が多いが、それでも水槽いっぱいの量で、大判の焼き海苔にしておよそ5万枚分にもなるという。
刈り取った海苔は翌日の刈り取りまでに、マルコ水産が自社で運営する24時間体制の加工場に運ばれ、洗浄、異物除去、裁断、撹拌、熟成、調合、成型、脱水、乾燥などを経て板海苔になる。一般的には板海苔に加工するまでが海苔師の仕事だ。マルコ水産では、一番海苔の一部を、そこからさらに焼き海苔、味付け海苔など、私たちが普段いただくおなじみの海苔の姿に加工するところまで手掛けている。12~3月のシーズン中はほぼ休みなく、こんな毎日が繰り返されるのだ。
刈り取りから戻ると、ちょうど焼き海苔の加工の最中とのことで、見学できることに。加工場の扉を開けると香ばしい海苔の香り。誘われるように中に入ると、刈り取った時の姿とは打って変わって、パリッと四角に成型された海苔がベルトに乗って焼き器を通りながら次々と流れていく。
最後の検品は人の目で。佳織さんいわく「この人にしかできない!」と絶大な信頼を置くスタッフさんが、何事もなく流れていこうとする規格外品を「ちょっと待った!」と素早くキャッチして取り除く。破れていたり、穴が開いていたり、厚みが均等でなかったり。一見どこがダメなんだろう? と編集部では見分けがつかないものも、説明を聞くと、なるほど。そんな小さなところまで? と驚くほどに、品質へのこだわりは強い。
この段階で取り除かれた海苔も、もちろん無駄にはしない。1枚ものとしては出せなくても、合格部分を切り取って使用したり、ふりかけなど細かく刻んで使える商品に混ぜたりと、最後の粉状になるまでおいしくいただけるよう工夫している。
すぐ隣の厨房では佃煮を炊いていた。こちらも扉を開けると、芳醇な出汁の香りが漂い、匂いだけでごはんが食べられそうだ。マルコ水産では、生海苔から佃煮を製品化している。ぐつぐつ煮立っているのは一番海苔の生海苔で、これがマルコ水産自慢の逸品「極」になる。元料理人の純次さんが調味料からこだわり抜いた優しい味は、きっとこれまでの佃煮とは違った感動を与えてくれるはず。
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