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ひろしま食物語 ひろしま食物語

変えるより、守る価値

2018年1月執筆記事

広島市安佐南区川内
広島若農家の会

広島若農家の会

 11月10日、広島菜の収穫作業を取材・撮影しに川内へ。種まきの様子を見せてもらったのが9月20日だったので、約1カ月半といったところか。訪れた高西家の畑は、大きな葉を広げた広島菜で濃い緑色に染まり、葉を踏んでしまわないように地面を探りながら広島菜の間をかきわけて進んだ。1株持ち上げるとまるでブーケのようなボリューム感で「大きい!」と感じたけれど、これでも今年は秋の長雨の影響で小ぶりなのだという。
 高西さん親子が株の根元に専用の包丁を入れてザクザクと刈り取っていく。やってみるかと声をかけていただき、いざ挑戦。根元からグイッと株を倒して、ナイフを差し込む。グッと押し込むようにとアドバイスをもらうが、ナイフが思うように入らない。ううっ…と力を加減しつつ、なんとか1株収穫。こんなスピードでは猫の手にもならない。あらためて高西さんたちの手際の良さに脱帽なのであった。

 広島菜は、信州の野沢菜、九州の髙菜と並ぶ「日本三大漬菜」の一つ。これには広島県民でも「そんなに有名だったとは!」と驚く人がいるかもしれない。実際、野沢菜や高菜に比べると全国的な知名度はまだまだのよう。しかし! 広島菜のおいしさを知っていればもちろんのこと、その伝統や現状、作り手の情熱を知れば知るほど、もっとたくさんの人に食べてほしい、自分ももっと食べよう! そんな気持ちになれるはず。

 広島菜の起源は江戸時代にさかのぼる。安芸国藩主・福島正則の参勤交代に同行した観音村(現・広島市西区観音町)の住人が、京都本願寺に参詣した際に種子をもらい受けて持ち帰り、明治になってから川内村(現・広島市安佐南区川内)の木原才次氏が改良して広島菜の原型をつくったとされる。ほかにも諸説あるが京都から伝わったという説が有力で、当初は「京菜」と呼ばれていたという。徐々に生産量が増え、1933(昭和8)年に産業奨励館(現・原爆ドーム)で「広島菜」と命名展示されて以来、呼び名が定着していったようだ。

 広島菜は広島が誇る伝統野菜。伝統野菜とは古くからその土地で栽培され、自家採種を繰り返しながら継承されている野菜で、長い年月をかけて各地の気候風土になじみ地域に根付いている。ちなみに広島には広島菜のほかにも「矢賀ちしゃ」「深川早生芋」「観音ねぎ」などの伝統野菜がある。全国各地、自分の住む町、ゆかりのある町に伝わる野菜について知り、機会があれば味わってみたいものだ。
 大量生産される野菜は形や大きさがそろい栽培しやすいように品種改良されたものだが、伝統野菜は毎年育った野菜から種を取り、その種をまいて育てるため、長年その土地で育まれてきた風味が引き継がれる。その代わり形がふぞろいだったり生育にムラがあったりと、品種改良されたものに比べると栽培効率は悪く、目利きや適切な管理など経験や技術が問われる部分が多い。
 川内でも代々各農家が種を取り、それぞれが理想とする広島菜を追求してきた。種取りは取る人の経験や感性や好みなどによるところが大きいため、同じ種から育った広島菜も、種を取る人が変われば別物になる。品質の維持管理は大変だが、かといって画一化することはしない。納得のいく品質を求めて試行錯誤するが、作りやすさを求めて手を加えるのとは違う。変えるのではなく、古くから守られてきたそのままを伝えていくことの難しさは並大抵ではない。経済的、合理的、生産的な価値を超越した普遍的な価値を守り抜こうとする姿勢は、まさに伝統文化の継承といえる。

かわうちのち公式サイト
https://kawauchinochi.com/

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。