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ひろしま食物語 ひろしま食物語

僕の柑橘に出会ったことは、幸か、不幸か

2023年2月執筆記事

尾道市瀬戸田町高根
長畠農園

長畠 弘典

 短期間ながらも技術員として現場を見て来たが、農業に対して「キツい」という印象はなく、柑橘の産地である瀬戸田ということもあってあまり心配せずに帰郷した。しかし「現実はだいぶキツかった」という。そこから10年ほど父親と一緒に農園を切り盛りし、その後は別経営に。父親は今、農事組合法人でレモンのハウス栽培に携わっている。
 その間、JA中心の出荷体制だったのを個人販売中心に切り替え、販売ルートを変更した。その前から個人で売れる自信はあったが、レモンに関しては当時まだ今ほど産地としてPRも認知もされておらず、少し苦戦するかもしれないという懸念があったため、しばらく踏み切れないでいたという。しかし、JAとの取引に関して常々疑問を抱えており、そんな気持ちのまま販売を続けることはできない、ダメなら仕方がないと腹をくくって、個人販売の道を選び、今に至る。
 今となっては「長畠さんのみかんじゃないと」という熱心なファンも多い。そんな喜ばしい状況について長畠さんは「それはその人にとって良かったといえるんですかね」という。どういう意味かと尋ねてみると「うちの柑橘を食べなければ、ほかの柑橘で満足できたんですよね。うちのを食べたことによって、ほかのを食べられなくなったのだとしたら、うちの柑橘を食べることは必ずしも幸せじゃないのかも。舌は一回おいしさを覚えると忘れられなくなるから、知らない方がいいこともありますよね」と笑う。なるほど、これがおいしいみかんをつくり出す者の罪深さというやつか…。

 農園は順調に拡大し、それまで人から借りていた倉庫を自分で建てようと、現在倉庫となっている場所を思いきって購入した。もともと立っていた空き家の解体工事も決まり、いよいよという時、長畠さんは、命を落としてもおかしくなかったというほどの交通事故に遭った。原付バイクで移動中、見通しの悪いカーブで軽トラックと正面衝突。2020年8月のことだった。
 約2カ月間の入院生活を余儀なくされ、その間は父親が農園を見てくれた。10月末に退院したが、1カ月くらいは重い物を持つことは禁じられ(とはいえ、そうもいっていられないと動き回っていたという)4カ月間リハビリ通いが続いた。
 交通事故は2シーズン前の出来事だが、柑橘栽培は2年周期で見るため、その年の影響が出るのが今シーズン。退院後の体にむち打ってなんとか出荷作業などはこなしたものの、収量や品質に直結する農園の管理作業、特に剪定まではさすがに手が回らなかった。個人販売に切り替えて以降、順調に収益を伸ばしていたが、今年は少し下がるかもしれないという。「農業に限らず『段取り八分』っていわれますけど、花が咲くまでにいかに良い仕事ができるかで勝負が決まりますから」。

 長畠さんは「仕事には厳しい」と自ら認める。仕事に厳しいからこそ、人一倍手をかけて管理を徹底する、これが長畠さんの柑橘がおいしいと支持される理由なのだろうか。「いえ、僕は全然手をかけられていないと思っていますよ。必要最低限のことがようやくできているかいないかというくらい。では、どこで差が出るのかといわれると、最近思うのは、省力化についての考え方の違いでしょうか。同じ省力化でも、仕事をせずにすむように手を抜くのと、ある部分の労力を省くことによって、その分ほかのところに手を入れるのとでは、全く違ってきます。省力化によって空いた時間に遊ぶのか、必要なところにもっと力を入れるのか。
 あとは柑橘栽培の指導方針にあるマニュアル通りに作っているかどうか。たとえば、毎年このくらい堆肥を入れましょうと書いてある通りに入れているかどうか。マニュアルに従ってつくれば普通はおいしくできるはずなのですが、従っていない人が意外と多くて、僕はできるだけ基本に忠実に作ろうとしているから、そこからも違いが出ているのかなと。僕自身もまだ十分にできていないけど、ほかにもできることはなんぼでもあります」。

 もう一つ、自分の柑橘がほかよりおいしいとすれば、その差は肥料ではないかと長畠さんは見ている。長畠さんは有機質100%の肥料を使用。根から養分を吸収するため土づくりがとても大事で、吸い上げた肥料の養分が最終的に果実に影響し、味も左右するのではないかということだ。「もしうちの柑橘がよそよりおいしいのであれば、そこぐらいしか考えられませんね。うちくらいの規模を今の人数で回していては、細かい部分にまで手入れが行き届いているとも思えないし。でも肥料さえしっかりと与えてやれば、細かいことまで手をかけなくても何とかなるものです。養分が少ないと枯れ枝も出るし、いろいろな不具合が出てきますが、必要な養分を与えて、必要な時に必要な手助けを少ししてやれば、あとは自力でなんとかします。生き物ですから、生きるために頑張りますよ。肥料さえ気をつければおいしくなるなら、肥料を変えればいいじゃないですか。肥料がしっかり足りていれば芽は出るので、基本的には大雑把な剪定で大丈夫だと僕は判断しているし、それで今まで悪かったということもありません。細かく剪定している余裕もありませんから」。

 おいしい柑橘をつくりたい、これこそが目指すところなのかというと、長畠さんの思いは少し違う。「以前は、とにかくおいしい柑橘をつくりたい一心で、もっと欲しいと求められれば面積を増やしてどんどん忙しくなる一方でした。でも、何のために農業をしているのかというと、おいしい柑橘をつくるためではない。そういうと語弊があるのですが、生活のため、お金を稼ぐために農業を営んでいるのであって、僕の場合はおいしさで評価されて、それが収入につながるわけです。極端な話、おいしくなくても買ってもらえるなら、不味くてもいいのかもしれない。だけど喜んでもらった先に収入があるわけだから、喜ばれるものをつくるのが僕の仕事。おいしい柑橘が求められていて、それで喜んでもらえるなら、それを目指さないといけない。では、なんのためにお金が必要なのかというと、家族のため。以前は家族との時間なんてほとんどつくっていなかったけど、交通事故を機に、家族を顧みず収入ばかりを追求することが、果たして幸せなのかと疑問を持つようになりました。それ以来、自分は農業においてどこまで突き詰めるべきなのか、自分のやるべきことは何なのかと、いろいろ葛藤しているところです。やるべきこと、やりたいこと、できること、まだまだたくさんあります。ゴールなんてないんですよ。あるのかもしれないけど、そこまでたどりつかないですね。100%完璧な栽培だと思っていても、天候次第で100%ではなくなってしまう。だからどこかで線を引かないと、永遠に仕事に多くを費やすことになるので、どうするのがベストなのかなと、最近よく考えます」。
 家族のことを考えて、農園の規模を拡大するのはやめようと思ったこともある。自分の代で終わるなら、倉庫など設備投資をして固定資産を残さずに、自分でできる範囲で、外国人を雇うなりして人手を使って仕事をこなせばいいじゃないかと思ったこともある。そんな時、この島で共に農業に励んでいた友人からステージ4の癌を患っていることを告げられた。彼は自分の親よりも先に長畠さんを訪ねてきて、自分の畑はほかの誰でもなく、長畠さんが全て引き継いでほしいと頼んだという。その場で即答はできず、彼の父親と話してその上で自分に引き継いでほしいということになれば引き受けると答えた。その結果、彼の父親がいくらか引き継ぎ、あとは数人で分配することに決まり、これによって1ヘクタール近く畑が増えることになり、長畠さんの中に新たな覚悟が芽生えた。「彼は亡くなってしまったけど、僕自身もいつまで農業ができるか分からない。だから今のままでいいと留まるのではなく、できる限りのことに挑戦して、自分が行けるところまで行こう。もし自分に何かあったら、その時は次の世代の誰かに引き継いでもらえばいい」。こうして、事故の前に購入していた土地に、計画通りに倉庫が完成した。

長畠農園公式サイト
https://nagahatanouen.com/

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。