この日は悟史さんが島内の配達に出るというので同行させてもらった。後部座席にチャイルドシートを乗せて、千草ちゃんも一緒に出発。千内さんが配達したり、どちらかが千草ちゃんと畑に残ったり、その日の状況によって臨機応変に役割分担する。
中岡農園では「千草がいるからできない」は禁句。子どもがいるとあきらめなければいけないことも出てくるけれど「『千草がいてもできること』という基準でやるべきことを見直したら、自分たちにできることが見えてきたんです。『千草のおかげ』で無理や無駄がなくなり、時間的にも精神的にもゆとりができて、できることに集中することで、自分たちに合った良い循環が生まれました」と悟史さん。
たとえば、以前は宅配の野菜を途切れさせないようにできるだけ多くの野菜を植えていたところを、思いきって減らしてみた。すると、世話が行き届くようになり、野菜一つ一つがしっかり育つようになった。だからこれ以上畑を広げるつもりもないし、自分たちにできることを受け止めて、精一杯美味しい野菜を作るだけだという。
配達中、すれ違う人や車にあいさつする悟史さん、配達先のお母さんに抱っこしてもらう千草ちゃん。「今日はどんな野菜があるの?」「芋づるはどうやって食べたらいいの?」作り手と食べ手の交流を目の当たりにし、宮島の人々と共に暮らす中岡農園の日常が見えた気がした。
配達を終えて畑に戻ると、待ちに待ったお昼ご飯。家から持ってきたおにぎりやおかずに、畑でとった野菜を加えていただく「中岡農園ランチ」。屋外でご飯を食べるなんていつ以来だろう。クーラーや扇風機がなくても、時折吹く風だけで十分に気持ちいい。自然に囲まれて、自然農の野菜を口にすると、自然に生かされているんだ、命をいただいているんだ、そんな実感がじんわりと体をめぐる。悟史さんは、ここで昼寝するひとときが好きなのだそう。
お腹が満たされたところで草刈りタイム。梅雨明け目前のこの時期は雑草も元気真っ盛り。彼らだって種の存続に必死だ。刈っても刈っても伸びてくる生命力は手強い。段々畑を毎日順々に草刈りに回って、ようやく最後の畑を刈り終わるころには、最初に刈った畑には再び雑草がコンニチハという容赦なくエンドレスな戦いである。しかしその雑草が、ここではとても重要な役割を果たす。
中岡農園を初めて見た時、全体的に緑に覆われているような印象を受けた。夏という季節もあるだろうし、悟史さんによれば、まだ開拓していない、草刈りに手が回っていないなどの理由で、雑草が茂っている箇所もあるのだが「草を大切にする」という方針にも「緑の畑」の理由がある。
肥料は米ぬかと菜種油の油かすと木くずのみという中岡農園では、刈った雑草も畑に敷いて活用する。朽ちて養分になるほか、土の表面を覆うことで保湿効果が生まれ、乾燥しにくくなるのだ。さらに、カーテンや防壁代わりになって、雨風、暑さ、寒さから野菜を守ってくれる。刈ったばかりの雑草がフカフカと土に被さって、畑を土色でなく青々と見せているのだ。ちなみに米ぬかと木くずは島内の米店としゃもじの工芸店から譲り受けている「宮島産」。
ここではほとんどが手作業。編集部も山本さんたちと一緒に草刈り鎌を片手にしゃがみこみ、黙々と草を刈った。敷かれている草をめくってみると、くつろいでいたミミズやイモムシが驚いてくねくねと動いた。虫が苦手な私も驚いたが、街で見かけるのとは違って、畑で対面するとあまり拒絶感を感じなかった。いるべき所にいる存在だから違和感がないのかなと思った。そもそもここは彼らのテリトリー。蛇の抜け殻も発見したし、モグラやタヌキが立ち寄った形跡も見られた。
「耕さない」のも中岡農園が実践する自然農の大きな特徴。刈った草の根から空気が入り、土の中を這い回るミミズが土をやわらかくしてくれる。
かつて、宮島では、耕すことが神を傷つけるとされ、禁止されていたという。耕さない農業は、神を、宮島の自然を、大切に思う農業でもあるような気がする。
肥料をたくさんやらなくても、耕さなくても、雑草を糧にする動物や虫、その排泄物や屍を糧にする微生物、ここではさまざまな命が行き交い、互いに生かし生かされながら、生命力に満ちた土壌を日に日に育んでいる。自然の営みを邪魔しないこと、自然の力を信じ尊重することで、生命力に満ちた野菜が育つのだ。言い換えれば、さまざまな「死」の上に、さまざまな「生」が成り立っているということ。人間も自然の一部として、その循環の中で彼らの恩恵を受けていることを忘れてはならない。
「耕さない」のも中岡農園が実践する自然農の大きな特徴。刈った草の根から空気が入り、土の中を這い回るミミズが土をやわらかくしてくれる。
かつて、宮島では、耕すことが神を傷つけるとされ、禁止されていたという。耕さない農業は、神を、宮島の自然を、大切に思う農業でもあるような気がする。
肥料をたくさんやらなくても、耕さなくても、雑草を糧にする動物や虫、その排泄物や屍を糧にする微生物、ここではさまざまな命が行き交い、互いに生かし生かされながら、生命力に満ちた土壌を日に日に育んでいる。自然の営みを邪魔しないこと、自然の力を信じ尊重することで、生命力に満ちた野菜が育つのだ。言い換えれば、さまざまな「死」の上に、さまざまな「生」が成り立っているということ。人間も自然の一部として、その循環の中で彼らの恩恵を受けていることを忘れてはならない。
中岡農園公式サイト
http://nakaokanouen.main.jp/
掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。