日本各地でシカが増え、さまざまな被害が出ているというニュースを耳にしたことがあるのではないだろうか。日本で「ニホンジカ」と呼ばれるシカは森林を中心に広範囲に生息し、草食であることから多様な植物のほか穀物、野菜、果物など幅広い農作物を食す。シカの天敵はオオカミと冬期の寒さと大雪。しかしわれわれ人間は明治時代に大規模な森林伐採によってオオカミを絶滅させ、産業活動によって大量の温室効果温暖を引き起こした。これらも一因となって、環境適応能力に加え繁殖能力も高いシカは長年にわたって増え続け、結果、生息密度の高い地域を中心に農作物の食害、森林機能の低下、生態系の破壊といった数々の被害を及ぼし深刻化している。
住民が少なくなった過疎地などでは野生動物が人里まで下りてきやすくなり、個体の増加や里山の餌不足などの要因が重なって、人と接触する機会が増え危害を及ぼすことも少なくない。そこで被害が深刻な自治体では「有害鳥獣駆除」への取り組みを強化。地元の猟友会を中心に猟銃や罠を使ってシカの捕獲に取り組むようになった。
獣害問題はもとはといえばわれわれ人間のさまざまな活動がもたらしたゆがみであるともいえ、過去に学びながら自然や野生動物と共存できる環境づくりを真剣に考えていかなければならない。しかしそれは一朝一夕に実現できることではなく、今目の前で起きている深刻な事態に対処するには、増えすぎたシカを駆除しなければならないのが現状だ。
生き物の命を奪うのだ。「かわいそう」「残酷だ」端から見ればそう感じるのも無理はない。しかし直接的被害を被っている人たちにとっては死活問題である。生活の糧となる大切に育てた農作物を根こそぎ荒らされて途方に暮れる日々では、憎しみすら湧いてくるのも仕方がない。
シカはただ、生きているだけ、生きようとしているだけ。しかしわれわれ人間も生きなければならない。獣害問題において、命を奪うことの是非を問うことは簡単ではない。奪わなくてすむのなら誰だってそうしたいだろう。けれどやむなく駆除したその命を、なんとか生かすことはできないか。そう考える人も増えている。ジビエについて知ることは、容易に答えの出ないこの問題について、自分なりの考えを探ってみるいい機会となるのではないだろうか。
1月24日、シカの解体作業を見せてもらうために三次市三和町にある(有)みわ375の加工場を訪れた。行きの道中、連日降り続いた雪はあちこちに残っているものの雲の切れ間から青空が見え、編集部スタッフ同士で「真っ白な雪景色を撮りたかったね」と話していた。ところがランチを済ませて加工場に到着すると猛烈な雪。あっという間に辺り一面真っ白に。画的には願いが叶い感謝するべきか…今度は凍り付くような寒さに震えることになった。
中に入ると作業台で精肉と梱包の作業中。作業場の奥には冷蔵室があり、皮と内臓を処理した鹿が吊されていた。ふと片岡さんがスマートフォンで撮影した動画を見せてくれた。箱罠(檻)にかかったシカの息の根を止める瞬間。槍のような道具で急所を突いてとどめを刺す「止め刺し」という方法で、出来る限り苦しむ時間を最小限に抑えられるよう的確に急所を突くことがポイントだ。食用を見込んでいる場合は、時間がかかると食味にも影響するため、このプロセスは特に重要だ。
最初、シカは箱罠の中をピョンピョン跳ねて暴れまわっていたが、首もとをひと突き。徐々に動きが鈍くなりそのうち静かになった。普段口にしている牛や豚も命であることに変わりはないのだが、と殺する場面を目にすることは基本的にはない。生が死に変わる瞬間は動画とはいえ衝撃的で、食べる通信でこれまで何度も繰り返してきた「命をいただく」とはどういうことか、あらためてずっしりと心にのしかかってきた。
猟のシーンを目の当たりにすれば「かわいそう」「残酷」と感じる人も少なくないだろう。では、鶏肉、豚肉、牛肉、あるいは魚など普段私たちが食べ慣れている食材はどうだろう。もし「これは食べられるけれど、これはかわいそうだから食べられない」と感じてしまうとすれば、その境界線は何だろう。
(有)みわ375 代表取締役の片岡誠さんは、広島市で生まれ三和町で育った。広島の大学を卒業後、東京の企業に就職し電子部品の設計をしていたが、長男ということもありUターン。料理にも興味があったことから道の駅のレストランで働きながら調理を学んだ。
ある時、当時町営だった「物産館みわ375」を管理・運営してみないかという話が舞い込み引き受けることに。みわ375を拠点として特産品を生み出したいと試行錯誤していたところ、ジビエにたどり着いた。
片岡さんは以前から地域の農家が作った農作物を集めて販売していたが、高齢化で作る人が減っていくのに加えて、シカやイノシシなどの野生動物による獣害が増え、だんだん農作物が集まりにくくなっていく状況に頭を抱えるようになった。そこで、地域の人たちからの要望もあって、本格的に獣害駆除に乗り出し、捕獲したシカやイノシシなどをジビエとして提供することで、三和町の特産品に育てようと考えたのだ。
自らも猟に出て、2016年には加工場を設立して処理や加工を施している。自社の加工場ができるまでは隣町の処理場に捕獲した個体を持ち込んで買い戻していたが、もっと積極的に販売していくためには自社で処理できるのがベストだった。
しかし施設を保有するなら販売先の確保はもちろんのこと、捕獲した個体が安定して入ってこなければならない。販売先については幸い自社のみわ375である程度めどが立つが、仕入れとなると猟友会の協力が不可欠。狩猟の事情を知り猟師と良好な関係を築くために、自らも狩猟免許を取って猟友会に入った。
片岡さんが住む地域は三次市の中でもシカが多く、市全体の約8割を捕獲しているという。ほかの猟師が捕獲した個体を片岡さんが買い取っており、月20頭の目標に対し30頭以上入ることもあるが、野生なので日によって差があり平均化できないのが難しいところだ。
もともと猟師は「有害だから」捕獲していたものを「食べるために」という意識に変えてもらう必要もあった。食用として商品に活用することが前提となると、捕獲方法や捕獲後の処理の仕方も変わってくる。
たとえば血抜き。命が絶えてから1秒でも早く血を抜かなければ臭みが出てしまう。猟師の協力のもと、片岡さんのところでは仕留めてから遅くても2時間以内に処理場に持ち込み内臓などの処理をし、肉質の劣化を防ぐよう努めている。自社レストランでも使用するため、品質や使い勝手を考慮した加工・処理などにはこだわりが強い。
さらに、収益を上げるにはどうすればいいか。片岡さんは考えた。収益が上がれば将来的に若者たちが受け継いでくれるかもしれない。地域の未来を考えた時、次代への継承は重要なポイントになる。
たとえば体重40キロのシカの場合、内臓、皮、骨などを除くと、人間の食用として適した部位は12~13キロほど。しかし片岡さんは破棄されていた部位も活用することで、一頭当たりの販売価格を引き上げ、事業として採算がとれるよう目標を立てた。
具体的には廃棄していた部位をイヌ用のジャーキーに加工して販売。噛むことによるストレス解消やデンタルケアにつながり、イヌも喜ぶということで好評を得ているそうだ。まだ知らない人の多い鹿肉の良さをきちんと伝えるために、できるだけ飼い主に説明しながら販売してもらうようにお願いしているという。
現在は東京を中心とした飲食店などへの販売のほか、自社が営む物産館のレストランでジビエ料理を提供している。片岡さんいわく「広島はジビエについてはまだまだ奥手」。広島ではジビエの認知度がまだまだ低く「臭い」「硬い」といった誤解も多い。きちんと処理したジビエを食べてもらうことで、たくさんの人に本当のジビエのおいしさを知ってもらうのが目標だ。
みわ375では、イタリアンやフレンチのレストランなどの高級レストランと比べて気軽に食べられる価格設定で、メニューもカツや唐揚げなどなじみのあるものばかり。若者や家族連れを中心にジビエ目当てに訪れる人が増え、リピート率も高いという。編集部スタッフも取材のたびに訪れ、焼肉、唐揚げ、天ぷら、カツ、ハンバーグなどバリエーションを楽しませてもらった。低脂肪、低カロリー、鉄分やタンパク質が豊富で、シカには肉類で唯一DHAが含まれている。味はもちろん、このような特徴も健康志向の人の心を引きつける要因なのだろう。
普及活動の一環として、片岡さんの住む地域では秋に収穫祭を開き、その中で猟師が参加者の目の前でイノシシを解体し、ブロック肉をレシピ付きで無料提供している。これが大好評だと聞いて2017年10月に開催された収穫祭に遊びに行ってみた。
解体ショーが始まったのは14時ごろ。祭りは午前中からスタートしており、地元の野菜を使ったピザ作り体験や身近な材料でできるエコストーブ作りなどさまざまなお楽しみが用意されていたので、すでに会場には人が集まっていたが、解体ショーが始まる前あたりから、さらににぎわいが増してきた。
時間になると、皮と内臓を処理したイノシシの個体が観客の前に登場。今年は少し小柄な雌。本来脂が乗っている時期だが今年は温暖なため少なめらしい。猟友会メンバーが各部位の特徴や調理法などを説明しながら、二人がかりで切り分けていく。
「かわいそう」「残酷!」「ねばねばしとる」「ガリガリ音がする」「あれなんじゃろう?」「うわー…すげー!」「骨が取れた!」子どもたちは興奮気味に、思い思いの感想を口にする。彼らは衝撃を受けたようだが、それでも最前列でまじまじと最後まで見届けた。「これが『食べる』ということです」司会進行役の猟師が伝えたかった思いは、子どもたちに届いただろうか。
ものの10分ちょっとでイノシシは骨と皮だけに。切り分けた猪肉は来場者に無料で振る舞われた。希望があればスープ用に骨も分けてもらえる。毎年恒例ということもあって会場は猪肉を求める人たちの大行列。事前に精肉していたものと合わせて二頭分の猪肉が品切れになった。各家庭でこの日の猪肉が食卓に上がった時、解体ショーを見た子どもも大人も、切り分けた「命」をいただいているのだと実感してほしい。これも片岡さんの目的の一つだ。
ジビエをきっかけとして三和町の魅力を幅広く広め、ゆくゆくは東京など遠方からも訪れてみたくなるような町づくりが片岡さんの夢。古民家を改装した宿泊施設も整備している。シカは皮や角なども活用でき、革細工などを扱う人など地域と連携しやすいのも魅力だという。三和のいろいろな団体が集まって地域のために事業を営む協議会を設立し、地域の農産物やジビエを使ったレトルト商品の企画、開発、販売に向けて動いている。「みわを元気にしたい。私は応援隊です」と楽しそうにさまざまなアイデアを語ってくれた。
物産館みわ375は広島県三次市三和町の国道375線沿いに立ち、昔ながらの民家を思わせる風情あるたたずまいが周囲の田園風景にとけ込んでいる。レストランでは片岡さんが自信を持ってお勧めするジビエ料理がいただけるということで、編集部スタッフも取材のたびに通った。もちろんジビエ以外に地元の食材を使ったメニューなどいろいろ。売店では米、野菜、お菓子、デザートなど三和町を中心に周辺地域も含めた農産物や特産品を販売しており、鹿肉や猪肉、それらを使ったソーセージなどの加工品やワンちゃん用ジャーキーなどジビエ商品も取り揃えている。ドライブがてらに立ち寄って、ぜひジビエを体験してほしい。
みわ375
三次市三和町上壱2098-1
Tel.0824-52-2778
営業時間/10:30~18:00
定休日/火曜日
掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。