「振り返ると、お金儲けや出世には関係なかったけど、生きざまとしては面白かったですね」薪ストーブを囲んで腰を下ろすと、哲彌さんは話し始めた。11月初旬の安芸太田町。標高700メートル、毎年積雪2メートルにもなる雪深い高原地帯。温度計は7℃を指し、じっとしていると芯まで固まりそうだ。
1963(昭和38)年12月に2頭の牛が入ったのが見浦牧場の始まり。現在は、創業者である哲彌さんと晴江さん、次男夫婦の和弥さんと亮子さんの4人体制で牧場を運営、三女の律子さんが販売を担当している。
和牛経営は、子牛を生産し家畜市場で売却する「繁殖農家」と、子牛を購入して肉牛として仕上げ食肉市場で売却する「肥育農家」との分業が圧倒的多数。しかし見浦牧場では、子牛の生産から肥育、販売まで一貫して手がけている。
見浦牧場がスタートしたころ、従来型の「分業化」と新たな「一貫経営」という二つの提唱が畜産界を二分する論争を巻き起こしていた。一貫経営最大の狙いは、家畜商による中間マージン解消と、繁殖から肥育まで一元管理することによる経営の合理化と向上。従来型の問題点の解決を図ろうとするものだったが、同時に新たな問題もはらんでいた。 たとえば、牛本来の生理を大切に健康第一で育てる繁殖過程と、生理を利用していかに効率的に太らせるかを追求する肥育過程は相反する技術を要するが、両方の技術を同一経営内で保有しなければならない。さらに、子牛を肉牛として出荷し収入を得るまでに3年5カ月以上かかるという資本の回転率の問題など。実際、一貫経営に踏み出した大多数の農家もいつしか分業に転向し、日本の農家には従来の分業型が合っているという意見が多数派となっていった。
それでも「和牛と心中する」と決意した哲彌さんが選んだのは、一貫経営。当時、一貫経営を提唱していた広島県農政部長の中島健先生が、若かった哲彌さんに語った「見浦君、今の畜産、特に和牛飼育は価格の乱高下に翻弄される投機になっている。私はこれを産業にしたいのだ。そうでないと和牛は生き残れない」との言葉。難題であることも承知で「それでも挑戦してみたかった。若かったこともあったが、なにより、これまでの慣行経営を敢然と批判した中島理論に夢を感じて、人生をかけてみようと思った」。以来、見浦牧場は一貫経営という夢を追い続けている。なぜなら「牛肉生産の技術は、消費者の牛肉に寄せる評価を子牛生産に反映させる、その繰り返しで発展してゆくと信じているからです」。
見浦牧場では、ここ安芸太田町の環境を熟知し、この場所に合った方法で、この場所に順応した牛を選抜、淘汰しながら育てることで、より安く、よりおいしく、より健康的な牛を追求している。「選抜淘汰の繰り返しでだんだん理想の和牛が育つようになりましたが、ここまでくるのに50年もかかってしまいました」そう言って哲彌さんは笑った。
きっかけは1 9 6 6( 昭和41)年の大寒波。降り続く雪、マイナス10℃ 以下の日が続き、最低気温はマイナス24・5 ℃を記録。無畜舎で越冬をしていた牛は過酷な日々を強いられた。見浦牧場は小さな畜舎に牛がもぐりこんで難を避け、畜舎に入れない牛は建物の影で吹雪をしのいだが、建物がほとんどなかった芸北町の事業団の牛は寒さと雪との闘いで体力を失い、雪に埋もれて息絶えた。
事業団は、冬期の無畜舎飼育は難しいと、翌年から畜舎を建設。しかし見浦牧場には畜舎の建設資金がない。考え抜いた末に導き出したのが「選抜淘汰の繰り返しで、寒さに強い牛を作ろう」という大胆な結論だった。
ある会合でこの話をすると、飼育技術指導の先生は「それは試験場やブリーダーのような専門家の仕事で、農民が個人でやるのは不可能だ」と断言。しかし哲彌さんは「素人にはできない? バカにするな! 」と憤慨し「見浦牧場の牛を作ってやろうじゃないか」と心に決めた。
専門家でないと牛の選抜淘汰による改良ができない理由を調べた結果、非常に長い時間が必要であることが分かった。過程も難易度が高く、それらを見込んで何十年後の目標を正確に立てることが、素人には難しいということだった。
しかし、見浦牧場ではこれを困難とは思わなかった。なぜなら、見浦牧場が目指すのは「高級な肉」ではなく「一般家庭の人にちょっと奮発して買ってもらえるくらいの価格で、最高に旨い肉」だから。さらに哲彌さんを後押ししたのは、妻・晴江さんのひと言「一部の金持ちに食べてもらうために人生をかけて牛肉をつくる、そんなバカらしいことはできない」。そこで、見浦牧場の環境で、健康に育つこと、赤ちゃんをたくさん産んでくれること、サシはほどほどでよいことなど、独自の選抜指標を作り、目標の牛を追求する挑戦が始まった。
「視点を変えさえすれば、凡人にも何十年先の目標を正確に立てられると思います。目標を立てたら、ひたすら歩き続けるだけ。雪国で暮らす私たちは、新雪の中では目標を決めないと真っすぐ歩けないことを知っています。経営は目に見えません。それなのに、目標を持たない、金儲けだけでは、経営が安定するのは夢物語。目標を持ち、少しずつでも独自の技術と実績を積み上げる。これが和牛経営の基本だと思うのです」。
「人間が生きるために犠牲になるのが家畜の定めとはいえ、最後の瞬間までは同じ生き物としての思いやりが農家には必要。その姿勢で彼らと接することが新しい発見と知識をもたらし、利益に結びつくと信じています」。見浦牧場の人たちが、同じ生き物として愛情と敬意をもって共に暮らす牛たちは、取材に訪れたこの日も、広々とした牧草地を、親子で、仲間と、群れになって、のびのびと過ごしていた。見慣れぬ私たちに興味津々な牛、警戒心ピリピリな牛…一頭一頭が、今を懸命に生きる命なのだと教えてくれた。
「自然は教師、動物は友、私達は考え学ぶことで人間である」これは見浦牧場のテーマだが、私たち人間が生きるための柱となる大切なものが、とても分かりやすく、深く、重く、伝わってくる。
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