貝原さんは生口島で生まれ育ち、高校進学のため島を出て、広島市内の大学に入った。現在は祖母が暮らす高根島で、柑橘農園「LORO farm(ロロファーム)」を営んでいる。農園名の「loro」はイタリア語で「彼らの、彼女らの」という意味。「自分の農園だと思って気軽に訪れてもらえるような場所にしたいという思いで名付けました。うちの柑橘を食べてくれた人が、自分の農園を自慢するような気持ちで話題にしてくれたらうれしいですね」。
化学農薬、化学肥料、防腐剤、除草剤、ワックス、ホルモン剤など化学的な資材は一切使用しない。「基本を大事にしています。特殊な技術を使っておいしさをつくるのではなくて、そもそもおいしいものなので、じゃまをしないように管理するという感覚です。これまでおいしく育ってきたこの土地できちんと育てれば、おいしいものができるはずですから」。
祖父母は農家だったが両親はそうではなく、大学までは農業を特に意識せず過ごしていたが、大学卒業後に二年間を過ごしたオーストラリアでのワーキングホリデーが転機となった。就職する前に海外を見てみようと参加。向こうで農業に就いたのは、特別興味があったからではなく、ビザの取得に必要なためだった。オーストラリアでは柑橘に限らずさまざまな農場を、シーズンに合わせて北へ南へと移動しながら生活。どの農場も大規模で、大量の農薬を散布して大量生産される現場を見るうちに、違和感を覚えるようになった。「食べるものをつくっているという実感はありませんでした」。
多様な国から集まった人たちと共に働いていると、日本人の丁寧さは農業においても強みになるのではないかと思えてきて、そこから徐々に、自ら農業を目指そうと考えるように。もともと日本に帰る気はあまりなかったので、海外で農業を始めることも視野に入れたが、高根島の柑橘がおいしいことは知っていたので「せっかくこんなに良いものがあるのだから、この島で勝負しよう」と決めた。
25歳で帰国、三次市の観光農園で半年間アルバイトとして働き、島に戻った後は生活のために造船所に二年間勤務。その間も終業後や休日を利用して、農園でアルバイトをしたり祖父母の畑で農作業をしたりしながら、農業で生計を立てるために準備を進め、三年前に独立した。現在の圃場は全て島の農家さんから借りたもので、もともとそこで栽培されていた品種を引き続きつくっているが、これから徐々に厳選する予定だ。現時点では半分ほどを温州みかんが占めている。レモンは収益が見込めることもあり、今はなかなか畑を手放す人がいないそうだが、今後は貝原さんの農園でも徐々にレモンを増やしていく見込みだ。
食の安心安全への意識が高まり、有機栽培なども注目されている昨今の世間の情勢は、貝原さんにとっては追い風となっている。同時に、その需要に供給が追いついていないという実感もあるという。貝原さんの柑橘は市場にはほぼ出回ることはなく「輸送中に衝撃を受けると味が落ちるので、収穫したものをうちで適切に管理・保管したものを、直接お客さまに届けられるのが一番です」と9割9分直販しており、現在はLORO farmの公式サイトとオンライン直販サイトで購入できる。開業当初から直販スタイルは変えておらず、インターネット上の口コミや購入者の紹介などで着実に顧客を獲得している。リピーターが多いのも強みだ。ウェブサイトの管理や発送に関わる業務は主に奥さんが担っており、独立した年に結婚し、二人三脚で歩んでいる。「今は注文がどんどん増えていますが、中途半端な対応をすると一気に引いてしまうのがインターネットの怖さでもあります。名前が出る分、責任の重さやプレッシャーの大きさはずっと感じています」。
先ほど供給が追いついていないとの話が出たが、それでも貝原さんは規模を拡大するつもりはなく、むしろ縮小してもっと手をかけたいくらいだという。従業員を雇う予定もなく、自分と家族で手が回る範囲がベストだと考えている。「オーストラリアでは外国人を受け入れて農作業を回すのを見ていたので、帰国当初はそれも考えたのですが、一歩間違えればこれまでやってきたことが無駄になってしまう恐れもあるので、人に任せることには慎重になっています」とのこと。
現在の顧客はほとんどが個人だが、卸業者などロットの大きな取引は考えていないのだろうか。「大口の取引は一件入れば大きいけれど、失った時のダメージも大きいので、積極的に売り込むことはしていません。最低ロットの品質を毎年維持できる保証もありませんし。飲食店など個人以外のお客さまもいますが、うちは取引の大小で単価を変えることもしないので、大口のお客さまはだいたいそこで断念されます。仲介が入る場合は、食べてくださった人の反応も見えにくいので、やはり顔が見える直接取引の方が面白いですね」。
さて「LOR O farm(ロロファーム)」の魅力が柑橘であることはもちろんだが、もう一つ、農園を語るのに忘れてはいけない存在が。それは「ヤギ」。そう「メェ〜」でおなじみの「山羊」である。貝原さんは相棒として(といっても農作業にはノータッチ)二頭のヤギを飼っているのだ。一頭は茶色い毛をまとった女の子で、名前は「マンボッ」。作業場にある小屋で暮らしている。取材陣が到着すると、どこからともなく「メェ〜」と歓迎(おそらく)。付近の草も食べるが、乾燥させたみかんの皮が好物なのだとか。このマンボッちゃん、なんと特技は「お手」。貝原さんがみかんの皮を手に「お手!」と手を差し出すと、手のひらにサッと蹄を添えるのだ。なんて愛らしいんだ…。取材中も編集部の背後からは「メェ〜」のBGMが聞こえてきて、終始癒しを与えてくれた。
もう一頭は作業場にはいない。海沿いの道路に面した圃場を守る男の子で、名前は「ミルク」。その名の通り、白い毛並みが美しい。そしてとにかくデカい。まだ貝原さんに会う前、たまたま車でその圃場の前を通りかかった編集部は「今すごくデカい何かがいたよね」とざわついたくらいだ。立派な角と長いヒゲをたくわえて貫禄たっぷり。見た目の威圧感はなかなかのものだが、それは見かけ倒しではない。貝原さんいわく手に負えない暴れん坊で、ミルクくんのために建てた小屋をその巨体とパワーで瞬時に破壊してしまったという武勇伝を持つ。まろやかな名前の響きからは想像できないパワフル男子である。高根島をドライブする際に彼を見かけても、うかつに近づかないよう注意してほしい。
実は貝原さん、農業高校時代は農産物ではなく畜産を主に学んでおり、馬術部で馬に乗っていたそうで、もともとは競走馬の生産をしたくて北海道までインターンシップに参加しに行ったほどの動物好き。馬とは別の道を歩むことになったが、大好きな動物と共に暮らすことができて、満たされているそうだ。
一度は島を出て、国内外の農業に触れ、再び地元の地に足を着けて歩むこととなった貝原さん。島の現状と未来をどのように見ているのだろうか。「高齢化が進んで柑橘をつくる人もすごく少なくなっていて、僕が帰ってきてからも、畑だったところがどんどん山にかえっているのを実感しています。40代以下の農家は少ないし、今の人数では現在の島の畑を全部守るのは難しい。そうなると柑橘の島としては廃れていくだけになってしまう。高齢の農家さんから畑を引き継いでほしいと相談がありますが、これ以上借りると管理できないくらい、若い世代も手いっぱいの段階にきています」。貝原さんのこの言葉だけでも、産地の厳しさが伝わってくる。
かつては高根島にも農協があり(瀬戸田農協と合併)温州みかんの一大産地として知られており「高根みかん」が商標登録されている。子どもの頃から親しんできた味、この島のおいしいみかんをなくすのはもったいない! そんな思いで、貝原さんをはじめ高根島の若き農家たちは試行錯誤している。「高根島を産地として残していきたい。レモンはすでにいろいろな人がPRされているので、僕は特に『高根のみかん』を推したいですね。そして、みかんとレモンの両輪で、島全体が盛り上がればいいですね」。
そのためには、この島で柑橘をつくりたいという人を増やさなければならない。もちろんそれは簡単なことではないけれど「島に来てもらうために、僕が農業を通じて充実した暮らしができていることを見せられたらいいなと思います。休みなく働いてボロボロになって、農業っていいですよって勧めても、説得力がありませんからね。働きやすい環境を整えて、そりゃ実際には大変なこともたくさんありますけど、良いところも見てもらって、ちょっと余裕を感じさせて、これなら頑張れる! と思ってもらえるような姿を見せたいですね。たとえば、長畠さんと僕ではやり方が違うし、ほかの農家さんもそれぞれだし、いろいろな姿を見てもらって、人を引きつけられたらいいなと思います」。
LORO farm公式サイト
https://lorofarm.com/
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