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ひろしま食物語 ひろしま食物語

偶然の救世主。品種登録の始まり

2022年7月執筆記事

三原市大和町
阿部農園

阿部 雅昭

 代表の阿部雅昭さんは、代々続く農園を継ぐために東京農業大学の農芸化学科に進学し、土壌肥料学を専攻。「当時は学生運動が盛んでしたが、私の科は実験が忙しくてそちらにかかりっきりでした」と学生時代を振り返る。卒業後は2年ほど全国酪農業協同組合の研究所などで働きながら経験を積み、産地を旅して見聞を広げ、24歳で阿部農園に入った。「親父は平成15年に他界したのですが、亡くなる前日まで元気に車を運転していました。その1週間くらい前にはテレビに出演して『息子より桃がかわいい』と話していましたね」。
 雅昭さんの祖父の代までは米農家で、米作りの機械化に伴うコストアップに対応するために、雅昭さんの父・静雄さんが桃の栽培を始めて今に至る。「技術革新によって、昭和30年代に水稲の機械化が進みました。牛や馬で耕していたのが、耕運機でできるようになり、田植えや稲刈りが格段に楽になりました。でもお金をかけて農作業が楽になっても作付面積が広がるわけではないから、機械化にかかった費用分をどこかで稼いでこなければなりません。そのためには外に働きに出るか、自分の農地で育てる農作物を増やすかしかない。そんな選択を迫られていた時、長野県で農林省の技術研究分野に勤める親父の弟から『桃が面白いからつくってみてはどうか』と。その頃、大和町では梨の栽培を推奨していたこともあって、町議会議員を務めていた親父は迷ったようです。桃は傷むのが早いし輸送用の道路も整備されていませんでしたし。でも弟から『大変だからこそ、やりがいがあるんじゃないか』と背中を押され、先駆者というのはどの分野でも大変なものだと心が決まったようです。そこで、農事組合の中に桃の部会を組織して、つくりたい人を募って研究を始めたのです」。

 桃といえば、お隣の岡山県が産地。まずは岡山で知られていた大久保という品種を60本ほど植えてみた。しかし大和町は標高が高いため、岡山の同品種よりも出荷が10日くらい遅れてしまい、他の産地に先を越されてしまう。ほかにもいろいろな品種を試してみたがなかなかうまくいかず、あきらめかけていたところ、苦労の末に生き残ったのが白鳳という品種だった。こちらはデパートのギフト用に選ばれるような良質な桃に育った。
 阿部農園以外にも桃づくりを続ける農家が何軒か残り、徐々に生産量が増えてくると、今度は販売に苦心した。冬の間に木を切って木箱を作っておいて、夏に桃ができたら箱に詰めて市場に持っていったが、最初の頃は「広島県三原市大和町の桃」という名は知られていないため、まともに取り合ってもらえない。「通路の空いてる所に置いときんさいと言われて、競りにかけても岡山の桃の10分の1くらいにしかなりませんでした」。
 売れなくても、桃はどんどん実る。なんとかして売らなければと、尾道の市場にも持ち込むなど努力を続けていたところ、福屋(広島市が本社の百貨店)の関係者の目に留まった。「まだ知られていない産地で珍しいものだから、福屋で販売してみたらどうか」という助言を受け、桃を一つ一つ丁寧に梱包して品質の良さが伝わるように工夫して販売してみると、少しずつ認知度がアップ。「市場の通路の片隅」から徐々に昇格していった。

 そんな時、産地化をさらに後押ししたのが「阿部白桃」の誕生。阿部白桃は偶然の産物だった。「傷が付いた桃を農園の片隅に埋めていたのですが、4本ほど芽が出て、そのうちの2本が実をつけました。収穫のピークである7〜8月が過ぎた9月初め頃に、初めて付けた実を食べてみると硬くて食べられませんでした。でも、初めてなったにしては大きくて、普通は200グラムくらいなのに380グラムもあった。翌年はさらに大きく450グラムほどに。そこで、これは新品種なのではないかと、品種登録を視野に入れて岡山の農業試験場に相談しました」。
 そこから広島の農業試験場や農業改良普及センター、JA広島果実連、農研機構の果樹研究所などたくさんの人の協力を受けて着々と品種登録を進めた。「農林水産省の元育種部長で、桃の大家の先生にも見てもらったのですが、珍しい桃だといわれて可能性を感じました」。先生の紹介で三越日本橋本店に持ち込んだところ「面白い」と、販売してもらえることに。品種登録は数々の審査を通過しなければならない難関だが、阿部白桃の可能性のために多くの人が力になってくれたという。そんな人々の思いに応えるかのように、阿部白桃は450グラム、500グラムとどんどん大きくなり、さらに「花粉がない」ということが決め手となって、新品種として見事に登録を果たした。
 阿部白桃が新品種として認知されると、岡山の桃と変わらない値段が付くようになり、さらに産地がいわゆるブランドとしてイメージアップされることで、ほかの品種も売れるようになった。「一人が頑張って品種登録すると、その産地全体で生き延びることができるのです」。

 産地として収穫量が増えると、新たな悩みも。「大和町は、桃をつくる人の数は少ないけれど、同じ品種が同時期に出るので産地を大きく見せる効果もあったのでしょうね」と阿部さんが言うように、品種ごとにピークが訪れる。産地化当初からつくっていた大久保という品種はお盆あたりが最盛期。しかしお盆は市場が休業ということもあり、桃農家みんなで公民館を借りて収穫した桃を置かせてもらうなどして対応していたが、公民館で行事があると使うことができず保管に困ることも。ピーク時は1000ケースくらい積み上がることもあったそうだ。
 「それで、市場だけに頼るのではなく自分たちで販売をしなければと思いました。それまでは選果場にみんなの桃を集めて市場に出していたのですが、それからは、当時7軒あった農家がそれぞれ看板を出して自分で売る努力をするようになって、徐々にお客さんがついてくると、全部を市場に売ってもらわなくても売れるようになったのです」。
 さらに、苦労して登録した新品種を守ることも重要になってくる。「阿部白桃ができた時、いろいろな人からアドバイスをいただきました。たとえば、よそからバスで視察に来られる時に、こっそり枝を切って持って行かれないように、その木に名札を立てないようにするとか、大人数だと目が届かないから、視察は少人数に制限して名前などもきちんと記入してもらうようにするとか。そうしないと守れないよと」。
 またある時は、県を通して中国の四川省から「阿部白桃が欲しい」と要望され、四川省まで足を運んだこともあったそうで「安易に渡すわけにはいかないので、いろいろと駆け引きをして、最終的にはあちらに渡ることのないような形に収まりました」。素晴らしい桃ゆえに、その魅力にひかれて多くの人が集まり声がかかるが、残念ながら善意ばかりとは限らない。本当に桃のため、産地のためになるかどうか、産地の宝を守るためには、見極める目が大事なのだ。

 阿部白桃の価格は大きさで決まる。つまり大きければ大きいほど高値が付く。たとえば450グラム2個5000円、500グラム2個7000円、550グラム2個1万円と上がっていき750グラムになると2個3万円。3万円という価格も驚きだが、桃二つで1.5キロという重量感にもびっくり。普段スーパーなどで見かけることはまずないだろう。阿部農園でもそこまでの大物は1年に1〜2箱くらいしかできず、予約をしても手に入らないことも。このレベルになると神社の御供などに使われることが多いそうだ。
 阿部白桃は少し酸味があり、果肉が大きく、硬く、シャキシャキしているのが特徴で、収穫のピークは9月初旬〜中旬。この阿部白桃と水蜜白桃を掛け合わせて生まれたのが「阿部水蜜」で、こちらは糖度が高く、一般的に「桃」といわれてイメージするような万人向けの桃だ。収穫のピークは阿部白桃より二十日程度早い8月中旬〜下旬。
 現在、阿部紅桃という、阿部白桃の早生的な位置付けの品種の登録準備を進めている。こちらはお盆頃がピークで、400グラムくらいの大ぶりになり、濃厚な甘みが特徴だ。さらにもう一つ、登録を進めている品種があるそうだ。
 先ほども述べたが、品種登録には多大な労力と費用がかかる。阿部さんも「普通はやらないよね。見たらびっくりするような分厚い書類を出さないといけないし、調査や試験、桃の専門的な知識も必要ですから」というほど。たとえば既存の品種を掛け合わせて実がなったとしても、それを接ぎ木してさらに同じものがなることを証明しなければならないし、試験用の圃場も必要となる。それら諸々の条件がクリアできるのであれば、品種登録することを勧めたいと阿部さんは言う。「登録すれば、規模の小さい農家も存在感を増しイメージアップできますし、万が一経営が厳しくなった時は、その品種があることで助けられることもあります」。さらに、阿部さん自身、品種登録する過程の中で良い経験ができたという。「阿部白桃がたまたまできたから、それを調べたり登録したりする中でたくさんの人が関わり、知恵や知識や販売網などいろいろなものをいただくことができました」。
 阿部さんいわく、登録品種にも評価のピークがあり、多くは登録から10年で廃れていくのだとか。しかし阿部白桃は30年、阿部水蜜は20年、いずれも長く人気を保っている。それでも次々と阿部さんが積極的に登録を進めるのはなぜだろう。「ここ数年はコロナ禍で大変な時期ですが、幸いなことに、うちは売上も好調です。でもそのうちどこかのタイミングで業績が下がることもあるだろうから、その時に困らないように品種登録を進めています。費用もかかるので、経営が切羽詰まるとできませんしね。後継者にとっても、登録しておいて良かったということがあるかもしれませんから。登録はすぐにできるのもではないので、準備だけでも進めておくと安心です。すでに登録品種を持っている人が申請する分には、審査する側の印象も良いので出しやすいという利点もありますね。うちだけではなく『大和町の桃』『三原市の桃』という名前で、産地全体の評価が高くなることも見据えています」。
 阿部さんには二人の娘さんがいるが、一人は県外に、一人は県内に、それぞれ家庭を持って別の仕事をしているため、まだ先のことは決まっていない。周辺の農家も同様の状況だが「以前なら、後を継ぐために戻ってこいといえたかもしれませんが、最近は気候変動も大きくて、場合によっては全くとれない可能性もあるわけですよ」と阿部さん。自然を相手にする以上リスクは伴うが、一層先が読みづらい環境の変化が起きているのだ。阿部さんは気温や開花を毎年詳細に記録しているが、この30年くらいの間に、花が咲く日が三日くらい早まり、平均気温は3℃くらい上がっているという。

 阿部農園はご夫婦で切り盛りしているが、もともと「農家に嫁ぎたかった」という妻の香代子さんに、桃づくりで大変なことを聞いてみると「桃はその日、その時しかとれない。だから収穫に最も気をつかいます」との答え。樹上で完熟させてから収穫するので、タイミングを逃すと熟れすぎてしまう。だから熟しているものは雨が降ってもその日にとってしまわないといけないのだ。さらに収穫時期は夏の暑い時期と重なるため、時間に追われるという厳しさも。暑い時間帯に収穫すると傷みやすいので、日の出から遅くても午前10時くらいまでには、その日の収穫を完了できるようにスケジュールを管理しなければならない。
 収穫時期はとれたての桃を農園で直売している。基本的には10時頃から開店するが、阿部農園の桃を求めて早くから訪れる人も多く、あっという間に売り切れてしまうことも少なくない。ちょっとした傷が入ったものをお得に購入できることもあり、いろいろな品種を食べ比べるうちに好みの品種を発見したという熱いファンもいて、阿部さんたちに代わってお客さんに品種の説明をしてくれる人もいるそうだ。そのままいただくのはもちろんだが、ジャムやケーキなどにして楽しむ人も多い。今となっては全国に旅立つ阿部さんの桃だが、しっかりと地域に根付き、長年愛され続けている桃なのだ。
 収穫時期の7〜9月は休みなしで農作業に追われる日々だが、10月頃から徐々に落ち着いてきたら、夫婦や家族で国内外に旅行するのが恒例。世界の桃を求めて中国、東南アジア、トルコ、スペイン、イタリア、米国、ペルー、南アフリカなど数多くの国を訪れたそうで、次はメキシコやイスラエルなどに行ってみたいとのこと。コロナ禍で海外渡航の判断が難しい時期だが、年に一度のお楽しみ行事を心置きなく満喫できる日を待ち望んでいる。阿部さんは日ごろから、穏やかな気持ちで農園に入るよう心がけているという。そして、農園で何が起こっているのか、桃はもちろんそこに住む生きものたちの様子まで細かく観察する。
 「おいしくな〜れ! じゃないけれど、健やかに育つことを願いながら、心を落ち着かせて農園に入るようにしています」。桃の枝に触れる手、つぼみを見守る眼差し…対話をするように桃と向き合う阿部さんの気持ちに応えて、今年も桃がすくすくまるまると育ってくれることを願う。

阿部農園公式サイト
http://abenouen.flips.jp/

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掲載記事内容は取材当時のものであり、
現在の内容を保証するものではありません。